【昔話】30歳定年説

前回に引き続き、私の昔話です。
ソフトウエアとの関わりの変遷を書いています。
感想を書いていただけると嬉しいです。
前回の日記にも書きましたが、もともとソフトウエアにはあまり関心が無かったのですが、バイク事故をきっかけに興味が湧いてきました。
進路を考えるときに、ソフトウエア業界に行こうかと考えた時期がありました。クラスメイトに聞くとソフトウエア業界は将来性がないからと言われました。それは、頭脳労働のため若いうちしかできない。30歳が限界ではないかことでした。ここことを当時は「30歳定年説」と言っておりました。
もともと興味が無かったのですから、その話を聞いてソフトウエア業界への進路は選択肢から消えました。
それなら、どの業界に進むかいろいろ悩みました。
当時は終身雇用があたりまえという雰囲気がありましたので、一生いられる会社なのかどうか判断がつきませんでした。
両親と相談して決めた第1希望の会社は見事に落ちました。
その後は会社がなかなか決まりませんでした。
2社目は、上場している機械メーカーの子会社でした。まだ設立したばかりで、○○研究所という名前にひかれ、会社訪問に行きました。人事担当の方といろいろお話しました。なぜか、それが面接を兼ねていたようです。
そのため、すんなり内定が出て、就職することになりました。(笑)
そこでは制御部に配属され、電気関係の仕事をしていました。
希望はハードウエアでしたが、少人数の部ですから、ハードウエア担当とは決まらず、ハードウエアもソフトウエアも何でもやらないといけませんでした。
その体制で数ヶ月経つと、ハードウエアの設計は部長が行い、調整とソフトウエアの開発は部下が行う体制が出来上がってきました。ハードをやりたいと希望していたましたが、立場上なにも言えませんでした。
気持ちはハードウエアをじっくり覚えたいと思っているのですが、ソフトウエアにかかる時間がかなり大きくなり、徐々にソフトウエア業の負担が大きくなっていきました。
当時一緒の職場にいた業者さん(ソフトハウスの方)にも、30歳定年説があるとの事を聞きました。
その方の話では、プログラマーは30歳頃で限界になるかもしれないけど、その上の技術者(システムエンジニア)になれば大丈夫とのことでした。
不安は残りますが、ささやかな期待が...
やはりソフトウエアから離れられないのでしょうか?
続きは次へ