月別: 2003年12月

年賀状作成

ただいま午前2時41分です
こんな時間だというのに年賀状を書いています。
今年の年末は家族に病人が出て大変でした。大掃除もまだしていません。
やっと時間ができたので、遅くなりましたが年賀状を書いています。
ランチェスター経営では葉書を書くことを勧めているようなのですが
文才のない私には、なかなかいい文章が出来ません。
例文を使って作成するくらいなら、出さないのと同じと思いますので
例文を参考に文章を考えています。
お礼ばかり書き連ねるのも芸がないですし.....何を書こうかな
でも、遅いからもう寝ようかな?

ランチェスター理論のジレンマ

今日は昔話でなく 先日から勉強しているランチェスター理論を自分の会社にあてはめてみました。
気になるところはいくつかあったのですが、対応の難しいところがありました。
「使用者に近づく」ということで、下請けや孫請けの場合は使用者の意見を聞く機会が少なく改善に有効でないし、儲けも少なくなるとのことでした。
私の会社は、コンピュータソフトウエアを開発しているものの、ハードウエアは市販のコンピュータを用いることがほとんどできません。
そのため、ハードメーカーの作ったものを使うことになります。そのため下請けの立場から離れられません。
自社でハードウエアの開発をするには、ランチェスター理論の「業種を絞る」ということと正反対になります。
また、この業界は業者は少ないのですが、ユーザーも少ないです。
そのため、広範囲に動きたい気にもなりますが、「弱者の地域戦略」に反することになります。
ランチェスター理論は一つ一つは納得できるものですが、相反する理論もあり、私の会社に取込むには難しそうです。
「半分の理論」とすると、何を取込み、何を排除するか、選択は難しそうですね。
頭の悪い私には無理なようです。(^^;;)

【昔話】アルバイト感覚の独立

会社を辞めることとなり、いざ就職先を探し始めました。
ちょっとあてにしていた、就職誌もバブルの影響で掲載する企業も減ってきました。
もともと人の少ない業種なので、求人はほとんどありませんでした。
そんな時にそれまでお世話になった方から声をかけられ、話をしました。
そのときはそんな気は無かったのですが、結局お世話になることにしました。
正社員として就職することを勧められましたが、これ以上履歴書を汚したくないので、しばらく契約社員として欲しいと伝えました。
会社の手続き上は、契約社員といっても経理上は業務委託です。いわゆる個人事業主になってしまいました。
格好よく言えば企業ですが、アルバイト感覚の独立となりました。
そのときは景気が回復するまでの腰掛のつもりでしたから深く考えずに会社の方針に合わせていました。
その腰掛が10年もいるとは....(笑)

【昔話】頑固なために

初めてのソフトハウスで仕事ではかなり充実した日々を過ごしていました。
しかし、ある出来事がきっかけで、その会社についていく自身がなくなりました。
社会経験が豊富な方には何てこと無い出来事だったと思いますが、私には辛い出来事でした。
そのために、辞めることを決めました。

【昔話】2度目の転職

それまで勤めていた会社も倒産してしまい、今後の進路をいろいろ考えました。
それまでの自分で何ができるかと思ったら、簡単なハードウエアの設計、製作とソフトウエアだけでした。
自分の希望では、今までどおりハードウエアの業界へ進もうと思っていました。
しかし、いろいろな起業に聞くと「君のレベルでは最初から覚えてもらうことになるので、給与もそれほど出せない」と言われました。やはり最後の頼りはソフトウエアだけになり、その道に進まなければならなくなりました。
ソフトウエアといってもいろいろな分野があります。
大きく分けると、アプリケーション系と制御系となります。
私が携わってきた分野は、制御系なのです。たまたまこの業界は狭いので、業者も少ないのですが、技術者も少ないので、就職には有利でした。
当時の就職誌で会社を探しました。
家から1時間程のところに、それらしい起業を見つけ、面接に行きました。
オフスビルの1部屋に事務所を構えていました。
今まで工場で働くことが多かったので、綺麗な感じで、これがソフトハウスなんだろうなあと、思いました。
仕事は大手電機メーカーの下請けでした。この会社の仕事は初めてのものを使うことが多く大変勉強になりました。
残業も多く辛かった時期もありますが、私の携わった仕事がテレビで紹介されたこともあり、充足感に満たされることも多々ありました。
ソフトウエアの技術者としては技術レベルが上がった時期でした。
でも、ちょっとしたこだわりによって....
続きは、また

電車通勤と忘年会

普段は取引先に行くのに車を使っているのですが、この日は
忘年会があるので、電車で出かけました。
電車で取引先に行くのも久しぶりなので新鮮な気分でしたが
乗り越さないように気を付けていたので緊張していました。
電車で出かけるのも年に数回なのですが、乗り換えが1カ所
あるので、気を付けないと乗り越してしまいます。
普段乗らないのに、ちょっと時間が出来ると仕事のことや家
庭のことをいろいろ考えてしまいます。そのため、ここ数回
乗り越しの常習犯になっております。
でも、今回は無事にたどり着けました。
忘年会は恥ずかしながら1次会で退散させていただきました
経営者なのでお付き合いも大事と分かっているのですが、そ
う思って付き合い、つぶされたことが数え切れないほどあり
ます。ほとんどが次の日は二日酔い、その次の日は三日酔い
と2日はつぶれます。
それでも、仕事上支障がでないのは、周りの皆さんのおかげ
なのでしょうね。
といっても安心して飲むわけにもいかず、そっと抜け出して
きました。
みなさん、失礼しました。

【昔話】倒産

そのとき勤めていた会社は、入社当時から同僚から「この会社は危ないようだぞ」と言われていました。
最初は心配していましたが、給料もちゃんと貰っているし、トラブルも無いので心配する気持ちも徐々に薄らぎ、忘れかけていました。
しかし、ある日、会社に行くと普段は静かなロビーに社員が沢山いました。
「何?」って感じで、入っていくと、会社がふあたりを出したとのことでした。経理を牛耳っていた、女性も居留守です。
電話に出ても社長かその女性あての電話ばかりでした。
その後、私がいた部門を他の会社に引き継がれることになりました。しかし、私はもう付いていくつもりは無く、あっさり辞めました。
ちょっとやる気になった矢先だったのでかなりショックでした。最後の給与も貰っていなかったので、裁判にも出ないと返してもらえないとの噂からすぐには就職できませんでした。
でも倒産による解雇でしたから失業保険もすぐに出ましたので、支給される期間の全部を貰うことにしました。
失業保険はすべてもらい、それを資金に自動車旅行に行きました。
続きはまた

【昔話】はじめての転職

今回も引き続き私の昔話です。お時間のある方は読んでみてください。
最初に就職した会社は、結局自分が進みたい道(ハードウエア技師)から離れてしまったので、退職することにしました。
一生いるつもりで就職したのですから、大変辛かったです。お世話になった方にも申し訳なくて....
でも、自分の進みたい道に進むことに決めました。
退職するまでの間、いろいろな企業を聞きました。それまでの会社でお世話になり、私より先に辞めた方がおられる会社を希望しました。
いろいろ相談して、その方の紹介ではなく、その方を紹介した方からお話してもらおうと言うことになりました。
そして、その方に相談したところ私の希望している会社ではなく、自分のいる会社に来ないかと誘われました。話が変わってしまった!
一応会社を見に行きました。その会社も新しくとても綺麗でした。
給与面もかなり優遇してくれたので、ついそこに決めてしまいました。
その会社では、仕事上はソフトウエアから離れることになりました。
ハードウエアに専念できたかというと全然違いました。
多少はありましたが、基本的には生産設備の監視作業とその合間に機械の電気配線をしていました。
希望とはちょっと違いましたが、ソフトウエアより将来性があるのではないかと安心できる面はありました。
しかし、仕事を離れると会社のパソコンで簡単なゲームを作ったりして、やはりプログラムを作っていました。嫌いではないので趣味としてはいいのではないかとそれなりに満足していました。
いろいろ問題はあるけどここならずっといてもいいかな?んなんて思っていました。
そんな矢先.....
続きは次へ

【昔話】30歳定年説

前回に引き続き、私の昔話です。
ソフトウエアとの関わりの変遷を書いています。
感想を書いていただけると嬉しいです。
前回の日記にも書きましたが、もともとソフトウエアにはあまり関心が無かったのですが、バイク事故をきっかけに興味が湧いてきました。
進路を考えるときに、ソフトウエア業界に行こうかと考えた時期がありました。クラスメイトに聞くとソフトウエア業界は将来性がないからと言われました。それは、頭脳労働のため若いうちしかできない。30歳が限界ではないかことでした。ここことを当時は「30歳定年説」と言っておりました。
もともと興味が無かったのですから、その話を聞いてソフトウエア業界への進路は選択肢から消えました。
それなら、どの業界に進むかいろいろ悩みました。
当時は終身雇用があたりまえという雰囲気がありましたので、一生いられる会社なのかどうか判断がつきませんでした。
両親と相談して決めた第1希望の会社は見事に落ちました。
その後は会社がなかなか決まりませんでした。
2社目は、上場している機械メーカーの子会社でした。まだ設立したばかりで、○○研究所という名前にひかれ、会社訪問に行きました。人事担当の方といろいろお話しました。なぜか、それが面接を兼ねていたようです。
そのため、すんなり内定が出て、就職することになりました。(笑)
そこでは制御部に配属され、電気関係の仕事をしていました。
希望はハードウエアでしたが、少人数の部ですから、ハードウエア担当とは決まらず、ハードウエアもソフトウエアも何でもやらないといけませんでした。
その体制で数ヶ月経つと、ハードウエアの設計は部長が行い、調整とソフトウエアの開発は部下が行う体制が出来上がってきました。ハードをやりたいと希望していたましたが、立場上なにも言えませんでした。
気持ちはハードウエアをじっくり覚えたいと思っているのですが、ソフトウエアにかかる時間がかなり大きくなり、徐々にソフトウエア業の負担が大きくなっていきました。
当時一緒の職場にいた業者さん(ソフトハウスの方)にも、30歳定年説があるとの事を聞きました。
その方の話では、プログラマーは30歳頃で限界になるかもしれないけど、その上の技術者(システムエンジニア)になれば大丈夫とのことでした。
不安は残りますが、ささやかな期待が...
やはりソフトウエアから離れられないのでしょうか?
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